西川寝具の専門店|心斎橋西川

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心斎橋西川450年の歴史

昭和40年頃の心斎橋西川本店の写真

昭和40年頃の心斎橋西川本店

西川家は世にその商才をうたわれた、近江商人を生み出した近江八幡出身です。
近江八幡市は、東海道線近江八幡駅から約3キロ、琵琶湖に近く、古風な瓦屋根のならび立つひっそりとした町です。
人口約6万9千人。行商から身をおこし、江戸商業に新風を送りこみ、伊勢商人とともに江戸、大坂、京都の大商業中心地を占拠した近江商人の発祥の地。
西川家は幾星霜を経て判読しにくくなった「蚊帳所」の看板をかかげて、今もなお、この市の一角に昔通りの姿を保っています。

西川450年の歴史を時代別に読み解きます。
その歴史は、時代の流れを読み、いかにその商いを広げ乗り切ったかがわかります。

創業は永禄年間

西川家の創業は永禄九年(1566)いまからおよそ450年ほど前
桶狭間の戦いから六年後で、織田信長が天下制覇の野望を
着々と進めていた頃である

西川家は代々京の御所御用の大工組だったと伝えられており、初代仁右衛門は戦国時代の天保年間に近江国蒲生郡南津田村で生まれ、永禄年間に19才で商売を始めました。
西川家ではこの年をもって創業の年としています。
この後、仁右衛門は天正年間に城下町となる八幡町に移住しました。
記録では仁右衛門はこのとき、大工組の調査役などを務め八幡堀の公示で活躍したことが記録されてます。
しかし、商いの道を捨てがたく、再び天正年間に屋号を山形屋として商売の道に戻り、さまざまな物産の行商を始めました。
慶長元年(1596)には、今の石川県に出向いて越前から仕入れた蚊帳を商い、帰りには塩さばなどを買って地元に戻り、魚屋に卸すという、いわゆる産物回しの原型を作ったとも言えます。
初代仁右衛門は、行商に息子を交代で連れて行き、商感覚を学ばせたことは有名です。その時の四男甚五郎が二代目となり、蚊帳づくりに並々ならぬ情熱を燃やし、生地を萌黄色に染めて緑に紅布をつけた萌黄蚊帳を創案し、当時大ヒット商品となったそうです。
この後蚊帳ののほかに近江表(畳表)も美濃や尾張に出張販売し好評を得て、その8年後には三河遠江まで出かけ商売に励みました。そのおかげで事業は順調に伸び、江戸だけで四ヶ店を持つ程の隆盛となりました。

七代目利助は六代目の長男に生まれ、明和八年(1771)に家督をつぎました。七代目利助は仏事を鄭重にする精神家でもあり、また、経済人としても優れた業績を残した西川家「中興」の人でもある。
この時代、火事や大地震による被害を何度もうけ、このような災害に対してその復旧費用は全面的に被災者の負担となった。
西川家ではこのような不時の出費に備えて積立金制度をととのえてきたが、この積立金制度をより充実し制度化したのが七代目による寛政十一年(1799)の改革である。
その他、西川家の体制を強化する様々な改革を行った七代目であるが、創業以来の古記録を整理複写し、現在我々が西川家創業以来の経過を知る手がかりとなるほとんどの史料は七代目によって整理された物である。

近代における発展(明治〜大正)

急転する時代の流れ
重要な得意先であった武士の解体、株仲間の廃止など
新時代の訪れは、同時の商家にとって、まさに危機の時代であった。
この激動期を西川家はいかに乗り切り、
新時代の趨勢をよく察知していかにその経営法を改善していったのか。

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明治維新は当然のことながら西川家の経営に対しても大きな影響を与えた。
多くの商家は幕府への無理な御用金(上納金)がたたってつぶれたものも多かったが、西川家はこの事態をのりきり、第十一代甚五郎は経営をさらに飛躍的に拡大することに成功した。
明治九年(1976)九月、大阪本町に支店が置かれた。この支店設置の目的は、西川家古来の基本商品である畳表関係の強化と、明治二十年から取扱い商品に加えた蒲団という新商品の強化にあった。
明治末期から大正年間にかけての時期は、全体的にみてきわめて順調な発展をつづけていた時期である。
第一次世界大戦後の大正九年の大恐慌と大正十二年の関東大震災も十二代目甚五郎により乗り切った。
大正の終わりから昭和の初めにかけて、日本は不景気の底にあった。昭和初期においては、西川の事業も停滞を余儀なくされた。
十二代目甚五郎はよく時勢を察し「お客には親切を、そして、お客が西川の商品を買われて、あとで後悔されるよな商品を売ってはならない」ときびしく戒め、時勢の進運に則した営業を展開し、不景気を切り抜けた。

昭和四年11月25日に、西川の商標が登録制定された。この商標は今日まで更新登録され用いられているのは、ご存じの通りです。
この"ぼたん文字"の西川マークは、西川の宣伝販売に力強く輝いた。

現代へ〜終戦、そして戦後(昭和〜)

第二次世界大戦、そして終戦、戦後の混乱。
それは我が国にとって、有史以来の試練期であった。
そのなかにあって、西川は老舗としての伝統を守り続け、
みごとに近代経営へと脱却をとげた。
そしていま、西川は創業450年の歴史を築きあげたのです。

昭和40年頃の心斎橋西川本店の写真

明治維新は当然のことながら西川家の経営に対しても大きな影響を与えた。
多くの商家は幕府への無理な御用金(上納金)がたたってつぶれたものも多かったが、西川家はこの事態をのりきり、第十一代甚五郎は経営をさらに飛躍的に拡大することに成功した。
明治九年(1976)九月、大阪本町に支店が置かれた。この支店設置の目的は、西川家古来の基本商品である畳表関係の強化と、明治二十年から取扱い商品に加えた蒲団という新商品の強化にあった。
明治末期から大正年間にかけての時期は、全体的にみてきわめて順調な発展をつづけていた時期である。
第一次世界大戦後の大正九年の大恐慌と大正十二年の関東大震災も十二代目甚五郎により乗り切った。
大正の終わりから昭和の初めにかけて、日本は不景気の底にあった。昭和初期においては、西川の事業も停滞を余儀なくされた。
十二代目甚五郎はよく時勢を察し「お客には親切を、そして、お客が西川の商品を買われて、あとで後悔されるよな商品を売ってはならない」ときびしく戒め、時勢の進運に則した営業を展開し、不景気を切り抜けた。

昭和四年11月25日に、西川の商標が登録制定された。この商標は今日まで更新登録され用いられているのは、ご存じの通りです。
この"ぼたん文字"の西川マークは、西川の宣伝販売に力強く輝いた。

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